さくともの、のたりのたり日記

ベビースリングを広めるのが目的で始めたブログですが食べ歩きや雑貨屋めぐり~ウチ食・うち呑みなどの備忘録に移行中。

永和と秋 (筆あそび教室)

今月の筆あそび教室は、来月がお休みということで、まずは宿題の説明から始まりました。 配られた宿題は、山頭火の俳句でした。初めて見るものばかり(・・・そもそも山頭火への興味が薄い)face06 これらの俳句の中から妄想して字を書いてみるという宿題のテーマは、とても興味深いのですが、まずは山頭火を知るところから始めなければ~と思いました。なにせ知っていることといえば、かつて「ほいと坊主」と呼ばれていたことぐらいでして。 そういえば、以前のブログに「ほいと」の意味について書いたこともありましたが、その後も年代を問わず、ここ山口では「ほいと」の意味を間違った解釈で使っている人が多くて驚いています(といっても、わざわざツッコミを入れることはしません。ここまで間違った意味が浸透しているというのも、やや不思議です)。  さて妄想から書いてみるとはどういうことか。 例えば、「こんなにうまい水があふれてゐる」の句では、目の前にあふれているのか、それとも自身のなかにおいてあふれているのか~など、どういった状況下でそう感じているのかによって、構成(余白や書き方の配分)が異なって来るというわけで・・・とても楽しみな宿題です! 「まっすぐな道でさみしい」の句にしても、どのように配置して、モノクロ(墨の部分と余白)をどう表現に用いるかでも大きくイメージが変わって来ます。など、様々に想像じゃなかった・・・妄想できそうなお題。 また「下り藤」にするか「木立(こだち)」にするかでも印象が変わるのだと、右写真にて。 一杯に書きすぎてしまうと「絵手紙」のようになってしまうので、どう構成するかがポイント! さてさて、今月のテーマは、永和(えいわ)。 永和とは、北朝の年号(1375年2月27日~1379年3月22日)で、後円融天皇の代。 『蘭亭序(らんていじょ)』のトップにも、書のお手本としても「永和」は掲載されているそうで。今回は私にしては珍しく!? 楷書をいつもの倍以上ずーっと書き続けてみました。というのも先生の表現が耳に残っているうちに~というのがあったものでicon47icon10 フニャーッと書く「和」がすごくしっくり来ました~♪ 「永」は、穂先がどれも向かう方向に向いておらず、入ったままの穂先で軌道をいく。 筆のおきかえや、ハラをゆっくりあげながら大きい懐でハネるなど、何度も練習しました。 気が付けば行書は練習していませんでしたが、この後の私の文字を先生がご覧になり、「やはりいつも崩したのが得意よね」と言われてしまうなど、いつもより楷書に時間をかけた成果などは微塵も表れていなかったようでしたicon11 それでも基本は大事なので、今後も楷書は意識的に書く時間を増やすつもりです。 左写真は「のぎへん」つながりで、上が『秋」で、下が『和』です。『秋』の「火」の点々が、一本にも見えます。 中央と右写真は、他の生徒さんによるもの。 じつは右写真部分にあるように、先生が一筆目を黒ペンで加筆されてバランスの良い字に修正されたものでした。ちょっとした長さの違いでかなり字のまとまりやバランスが変わるんですね~face08 次に、「秋」や「紅葉」なども書きました。いつもであれば、これらに時間をかけるのですが、この日は初めて、これらを1枚ずつぐらいしか書きませんでした。 「紅」と「葉」の太さなどのバランスが難しいと思いました。なぁんて一枚しか書いていないのですが~face07   先生から、右のように「葉」の「木」の右の払いのの位置を変えるだけで全体の字のまとまりといいますかバランスが良くなるとアドバイス頂きました。この日は白い磁石を初めて持参。先生が早速ご活用くださり有り難かったですicon14 こちらは他の方によるものですが、私と同じく「葉」の「木」の左の払いの位置を先生がアドバイス  右写真にあるように、左の払いを青い磁石の位置にすると、好バランスになりました。 こちらも他の生徒さんによるもの。秋の「火」の部分をみんなも苦戦しているようでした。   私は「の」が好きだなぁ~と思いつきで言いましたら、先生からは「の」が・・・と言われたようでしたface06 最後に、プリティ真美ちゃんの書に、村上真実先生が紅葉を書き加えられたものをアップ。 こちらは名刺サイズぐらいでしたが、あえて大きく撮ってみました。 先生によると、草かんむりの部分がの切れ間を活用して紅葉を加筆されたとのこと。気のせいか(渇筆のような感じもあるからでしょうか)、紅葉が進み切って落ちる寸前のように見える紅葉です。 さすが絶妙なバランスです~icon12 間(ま)も重要ですね。 こちらは「喜」一文字以外が、村上真実先生によるもの。 「恋」の旧字体は「戀」で、『糸(いと)しい糸しいと言う心』と書きます。そして「心」を「烏」にすると、親鸞聖人の「鸞」となります。と、ここまでは知っていましたが、この先の話は初めて知りました。 「鸞」は神霊の精が鳥と化したもので、鳳凰が歳を経ると鸞になるとも。 それから今、調べていて知ったのは、これまで親鸞上人だと思っていましたが、法然上人に対して、親鸞は「聖人」と用いるのが正解のようですね。いずれも「しょうにん」と読むので、いつの間にやら混同していましたicon10 次回は12月。というのも、来月は先生の個展などが相次いで開催されますので。 また個展にも伺うつもりですが、まずは宿題に着手したいと思っています(・・・と宣言してみる)。 最後にもう一枚だけ。 茄子や竹、それから葉脈など、いつか先生のように書けるようになりたいです。 こちらもそうですが、本日アップした先生の書の多くが逆さまから書かれたものということも書き添えておきます。私から見たら、逆さまもまともな向きでも同じに見えるのですが、きっと先生がご覧になったら異なる点も明確なのでしょうね・・・いつかそれも分かるようになりたいですicon14