さくともの、のたりのたり日記

ベビースリングを広めるのが目的で始めたブログですが食べ歩きや雑貨屋めぐり~ウチ食・うち呑みなどの備忘録に移行中。

のりしろ

本日二度目のアップ。

つい今しがたテレビで、大竹まことさんが「61年目の反省」ということで、自分の「のりしろ」に対する意識について語っていらっしゃいました。

あぁ~そういえば私もかつて大学3年生のときに、自分の「のりしろ」について友人と語り合ったことがありました。

「お前を見てると、道の端を歩いたら避けられるのに、わざわざ道路のど真ん中を歩いているようで、危なっかしくてしゃーない」と言われたのがきっかけでした。

当時、就職活動をするのに自己分析を互いにし合っては面接で何をアピールするかを考えていましたので、このように言われたことに驚きました。なにせ就職活動中の面接で知り合った人だったので、付き合いも浅く、本当に第一印象だけで彼は私の本質を言ってのけたので(あ、それだけ分かりやすい性格だったというのもありますが)嬉しくもありましたが、ビックリしました。

それで私が彼に言ったのは、「ひとって自分でのりしろを決めてしまったら、人生も可能性も何も広がりがないと思うよ」という言葉でした。「仮に自分にのりしろがもう既になかったとしても、そんな風に自分を信じることによって、やり遂げられるかもしれない」とも言いましたが、いま思うと、何とも向こう見ずで恥ずかしくなる発言でございます。

さて自分のことはさておき、大竹まことさんの発言を聞いて、ふと自分の息子たちのことも考えてみました。

あまりある「のりしろ」の可能性は、一体どこまでいつまで求めていって良いものなのでしょうか?

そもそも子供に求め過ぎるような育児は宜しくないと思っているものの、時には求めるといいますか期待することもまた必要かなと思ったりもします。

ですが今日の大竹さんの言葉を聞いて、あ、未知なる可能性というよりは、「のりしろ」という目に見えない限界が設定されている可能性を本人にもそれとなく知っていってもらえたら良いのかな~と。

何だか言葉遊びのような文章になってしまいましたが、のりしろ設定意識は、向こう見ずな3歳児や1歳時であっても、既に始まっているような気がしました。

ちなみに、今の私にはもう向こう見ずなところは殆ど残っていないとは思いますが、20代の頃に知り合った友人たちと飲み交わすことがあれば、もしかしたらまた復活してしまうかもしれません。

購入時は2匹とも赤かったのですが、夏頃から急に片方が白くなってきました。

どうやら今の家の環境が、本来の色に戻してしまったようです・・・。